You're a RPG Suicide.

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ゲームなんだよな。その辺の意味について。

TRPGは演劇におけるエチュード(即興劇)のようなモノだ、と評した人がいたが、テーブルを囲んでエチュードをやってるだけでは、TRP(テーブルトーク・ロール・プレイ)で止まってしまう*1。Gが足りない。つまり、ゲームであるということ。RPGがなにゆえ「ゲーム」なのか、ということをテーブルトークゲーマーは常に心の隅に留めておくべきではないのだろうか。
しかし、何をもってゲームと呼ぶのか、これもまた難しい。確率や、ロジックの複雑さゆえに結果が予測しづらい行為をゲームと呼ぶのがとりあえず適当であろうか。サイコロを使うゲームは確率による不確定性に結果が影響される。乱数発生装置によって結果が左右されないゲームもあるが*2、とりうる選択肢が人間の未来予測能力を凌駕しているので、パーフェクトな手というのは未だに発見されていない。
我々ゲーマーはなにゆえゲームを遊ぶのか、そして楽しめるのか? それは詰まるところ、結果の予測不可能性に尽きるのであろう。漫画や小説、映画にも予測不可能性はあるが……ページを初めてめくる(あるいは次のカットに移る)まではその内容は分からないから。ただ、この場合は作者側と視聴者側の態度が違うので、やはりゲームとは言えないだろう。と、ここでまた新しくゲーム性の定義を作ってしまった。
私はコンピュータゲームが好きであった。もちろん今でも好きではあるが、かつてほどの熱狂をコンピュータゲームに注ぎ込むことは殆ど無くなってしまったと思う。昔はゲームに出てくるキャラクターやコミックに出てくるキャラクターに自己投影したものだが、最近は冷めた見方しかできなくなってしまったのか、そういう楽しみ方は出来なくなってしまった。
……うーん、自己投影の話と予測不可能性の話を繋げるのは結構骨が折れるなあ。できんことは無いはずなんだけど……自分の中では納得してる話なんだし。
今日は眠いので間を飛ばして結論だけ言ってしまうことにしよう。ようするに、衣食住というリアルの生活とかけ離れた世界に自分自身を投影して、そこで架空のリアル(つまりファンタジー)を達成するのがゲームなのだ。たぶん。もうちょい推敲したいが眠い。続きはまたいずれ……

*1:文章の後半部分を読むと、エチュードの予測不可能性について言及してないんだよな〜と。後半の理屈によると、二つの要件を満たしているのでエチュードはゲームであるということになる。うへえ

*2:早い話が将棋やチェスや囲碁