You're a RPG Suicide.

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私のRPG原風景〜最近のRPGについてあれこれ

とりあえず私のRPG趣向についてもらもらと述べてみる。私のRPGにおける原風景は、戦争の最中、数十数百の敵の中を切り抜けていく英雄像である。もっと言うなら、ファイアーエムブレム*1における高レベルキャラである。彼らは最初は弱く、敵の名も無き兵士と同じタダのコマに過ぎない。しかし、愛着を持って育てていくと、やがて一騎当千の英雄となるのである。
私のフェバリットなシステムであるD&Dにおいて、あらゆるクリーチャーは同じレギュレーションで作成されている。PCもモンスターも敵対国の兵士も、その意味では平等である。そして、PCは冒険を経て、経験を積み、次第に強くなっていく。そしてやがて彼らは英雄となる。この過程は、上記のファイアーエムブレムの場合に極めて近い。彼らは最初から英雄なのではなく、生き残り、努力したからこそ英雄たりえるのである。
同じレギュレーションで作成されているならば、高レベルのNPCはただ無意味に強いNPCでは無いはずである。そのレベルに至ったドラマを、NPC達ははPC同様に持っているはずである。これにはかなりの想像力が必要だろうが……しかし、完成されている高レベルキャラクターの過去を遡り、そのドラマを思い返すことは不可能では無いのだ。私はその過程を多いに楽しんでいる。
そして、同じレギュレーションで作成されているがゆえに、PCは敵対するNPCを倒す*2ことが可能である。もちろん、手塩にかけて作成したNPCが倒されることは悲しいことである。しかし、彼らはPCと同じ舞台に生きているのだ。同じ物語の中に生きる者同士、その存在の本質に違いは無いのである。だからドラマチックなのだ。生死の危険の無い冒険に、何の喜びがあるのか*3
最近の多くのRPG……特にFEARゲーにおいては、世界的重要NPCにはデータが無い。私はルールブックに並んだ連中の顔を見るたびにいらつくものを感じる。彼らにはデータが無い。よって、最終キャンペーンでも発動しない限り、PCがいくら頑張ったところで殺すことはできないのである*4
FEARゲーにおいてNPCの強さには意味が無い。彼らは世界観そのものであり、シナリオの流れを自由自在に操ることができる。ルールを駆使してなんとか倒そうとプレイヤーが奮闘したところで、彼らがシナリオボスで無ければ倒せない。彼らが悪事の黒幕だったりしたときには、本当に無力感を覚える(そしてPCは彼らの手下を倒したに過ぎないのだ)。
私がD&Dのことが好きなのは、ルールを駆使して状況を好転させることで、勝利の確率を向上させることができる点である。よっぽど無茶な敵を相手にしない限り、勝機はある。さらにいうなら、勝てそうに無いなら逃げてもいいのである。むしろ、勝ち目が無いので退却して準備して出直し、というのは通常のプレイスタイルである。
月初めにナイトメアハンター・ディープの添付シナリオをプレイする機会があって、久しぶりに激昂してしまったのだが、それはまさにこの点においてである。ゲーム的な駆け引き、すなわち状況を有利に運ぶ方法が、ダイスをブーストしたりするPODというポイントの割り振りに集約されてしまって、他の方法が無いのだ。このPODというポイントは非常に重要な役割を果たすのだが、1セッションにおいて一定回数しか使用できず、回復方法が存在しない。つまり、ラスボス*5との戦闘においていかにPODを残しておくか、そしてそれを使用するか、という話になってくる。この戦闘に2度目は無い。
このPODだが、調査パートにおいて超能力を使うときに使用できる。しかし、調査パートで多用すると、ラスボスに勝つためのリソースが足りなくなる。このゲームの超能力は拡大解釈が認められていてGMが認める限りで様々な事象を引き起こすことができるのだが、これを使ってしまうとラスト戦闘で不利になってしまうのである。少なくとも、私がプレイした添付シナリオでは、ラスボスはあまりにも強く、PODを他で消費していてはとても勝てないようなレベルのものであった*6。これはシナリオ以前に、システム上の欠陥ともいえるだろう。
ラスボスとの戦闘が必須で、さらに敵がPCと違うレギュレーションで作成されているゲームはFEAR製のゲームに多くみられる。それは端的には、ヒット・ポイントの相異に現れる。前述のナイトメアハンターディープは、FEAR製ではないが、ラスボスのHPはPCに比べて異常に高いものであった。そして、ゲームの難易度を上げるという以上の意味はこのデータに含まれていない。FEARゲーであるスターレジェンドの添付シナリオをプレイした際、敵ボスのHPの異常な高さに辟易した記憶があるが、あれもPCの攻撃力が高いからHPを高くしました、以上の意味を持っているとは思えない。まさにセッションを盛り上げるための「道具」でしかない。しかし私はサイコロを振るという行為そのものにファンタジーを感じられなくなってきているので、無闇に時間の掛かる戦闘は苦痛でしかない。今挙げた2つのゲームはPCがとりうる攻撃ルーチン(=戦術)の数に乏しいので、長時間の戦闘は本当に詰まらないのだ。
スターレジェンドのGMをしたことがあるが、その前にプレイヤーとして参加した上記のシナリオの、PCの攻撃力が上がる→敵のHPが上がる、というあまりにも直線的な思考に頭に来て、自分からHPを暴露するラスボスを出してしまった。「私のHPは530です」などという、某マンガのキャラクターのオマージュだったのだが、もちろんまともに戦闘するつもりは毛頭なかった。演出で終わらせたが、自分でやっといてひどくぐったりした覚えがある。しかし、真面目にデータを作って戦闘をやっていればもっとぐったりしただろうことは想像に難くない。
フィアゲーのボスはやられ役であるべきである。だから、最も盛り上がる瞬間にやられなくてはならない。よって、やはりHPに意味は無い。プレイヤーの手番が1周して、主人公(いわゆるPC1)の手番が回ってきたところで倒れるのが理想だと思う。先月末にブレイドオブアルカナ3rdEdition(以下ブレカナ)のキャンペーンシナリオ*7第一回にプレイヤー参加したが、ラスボスのひどさに半ば本気でライターを殴りつけたくなってしまった。あまり書くとネタバレになるが、ラスボスの持っているドラマ性に比して、その戦闘能力(具体的には所持している奇跡の数)が高すぎた。ブレカナは英雄を演じるゲームのはずなのに、なんでこんな小悪党相手に殺されそうにならないといけないのか、と何度も心の中で悪態を吐いた。フィアゲーは勝つか負けるかしかないゲームが殆どである。1セッションに使える回数が決まっているリソースの存在は、2回目の挑戦が無いことを明示している。そして、最後の戦いに負けると、それまでのストーリー展開が全て無駄になってしまうのだ。キャラクターメイキングに2時間を費やし、その後数時間プレイしてきて、それが最後の戦闘で全部吹っ飛ぶ。こんな理不尽は無いと思う。
これが、ダブルクロスの場合ならば、侵食率が上昇することでNPC化することはあっても、そうそう死亡することはないし、そのキャラクターはゲーム世界内で敵役として再登場することが可能であり、よってストーリーは続く。この点はダブルクロスの秀逸な点であると思う。敗北=物語の終焉ではなく、まだその先があるのだから。
さて、ブレカナの話をもう少ししようと思う。前述のように、ブレカナのキャラクターメイキングは非常に時間がかかる*8。しかし、いくら頑張ってコンボを組んだところで、奇跡の威力が強すぎて、殆ど意味を為さないのである。奇跡には明らかに強弱があり、キャラクターを立てようとしてアルカナを選ぶと、それだけ弱くなり、ラスボスに勝てない可能性が出てくる。奇跡は確率の要素が殆ど無い切り札なので、枚数が多い方が勝ってしまうのである。ラストでストーリーが失われる危険性を回避するためには、全員、絶対命中(アルドールかイグニス)+ダメージブースト(デスズハンド)+キャンセル(イノセンス)で固めるという話になる。むしろ、コピー(獣人……名前忘れた)をいくつか入れておくべきか? いずれにせよアホくさい話である。せっかくストーリーを構築できる世界観を今まで蓄積してきたのに、システムにスポイルされてしまうというのは、切ない。そうまでして戦闘がやりたいのだろうか? たとえそれがバランス崩壊を起こしているとしても? 必死で選んだ特技のコンボは何処で使うというのか*9
元々ブレカナトーキョーN◎VA(以降ノバ)から派生したゲームである。ノバは元々演出優先のゲームだったはずなのだが……壊れないシナリオを志向する余り、PCの渾身のクー・デ・グラ*10をポンとキャンセルするという行為がまかり通ってしまっている。この際の無力感も凄まじいものがある。
正直、ノバはNPCに神業を使わせなくても、いや、むしろ、使わせない方が、面白いセッションができると個人的には思うのであるが……ミスリードで重要NPCを誤認射殺させるとか。
ドラマをNPCに頼りすぎるから、NPCを殺させたくないという思考に陥ってしまうのかもしれない。しかし、RPGのドラマは本来PC達が主役であるべきである。PC達が死ななければ物語は進むのだ。そうは思わないだろうか?
さて、このようなストーリー固定型のゲームに継いで、迷宮キングダムアリアンロッドRPGというゲームが出てきた。これらのゲームは、古いソードワールドなどのスタイルを踏襲しつつ、軽いシステムとポップな世界観で人気を博しているように思われる。アリアンロッドRPGなどは、和製D&Dとさえ言えるかもしれない。……D&Dゲーマーとしてはデータ量、ゲームバランス、世界観全てにおいて不満なのではあるが。
長々ととりとめの無い文章を書いてきてしまったが、つまり私は、比較的新しい和製ゲームをプレイしている若手のプレイヤーと、D&Dを遊んでいるようなマニアックなプレイヤーとの溝を埋めたいのである。D&Dの楽しみをもっと知ってもらいたい。しかし、自分から歩み寄るには、あまりにも彼らのプレイするシステムを知りすぎている……このジレンマは、なかなか解消されそうにない。

*1:シミュレーションRPGというジャンルを確立したビデオゲーム。最近の作品はそういえばプレイしてない。

*2:端的に殺す、でもいい

*3:そもそもキャラクターが死んでもプレイヤーが死ぬわけではない。当然だが。

*4:もちろんRPGの本質を省みれば、GMが殺そうと思えばいつでも殺せるということにはなる。だが、そういったプレイングは、イレギュラーである。重要NPCを殺してしまうと、市販シナリオがプレイできないといった事態すら起こるのだ。

*5:このゲームにおいてラスボスが存在しないというシナリオ構造は異常である。なぜなら、ルールの殆どが戦闘に裂かれているからだ。

*6:もちろんGMがデータを操作すればいいという話ではある。しかし、シナリオ作成の模範となるべき添付シナリオでこのゲームバランスはどういうことか?

*7:Sun of Darkness

*8:まあクイックスタートのキャラが以前よりマシになったのでそれを使えばいいという話もあるが

*9:まあザコ戦および奇跡を撃ちつくした後のボス戦だが……

*10:スタイル:カブトワリの神業。対象を即死させる。