You're a RPG Suicide.

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おかしいな。昔の俺はこんなシナリオ作ってたっけ。

いつからキャラクターのレベルのことばかり考えるようになったのだろうか。壮大な物語の絵図を描くのはたしかにマスターにとっては楽しいことである。しかし、そのような無闇に遠大なストーリーがプレイヤー、そしてプレイヤーキャラクターにとってどのように映るのだろうか?
マスターが物語を進めたいという意欲ばかりに囚われて、そんな間に合わせのシナリオばかり作ってきたような気がした。大きな物語が、作品として、小さな物語に勝るという根拠はどこにもない。小さな出会い、小さな別れ、それだけでもドラマになるはずではなかったのか。そして、テーブルトークRPGの本質を鑑みるにあたって、そのようなドラマを描くのにどのようなシステムを用いようとも大差は無いのだ。プレイヤーの想像力の及ばない(むしろ、マスターの脳内に広がる世界に同調しろという方が無茶な話だ!)ところでゲームをやっても、それは虚ろなもので、本当に大事な仮想体験にはなりえないような気がした。
私一人の理想世界を描きたいのなら、一人で小説や漫画を描けばいい話なのだ。他人を無闇に巻き添えにするものではない。そして最近感じる空虚な感覚は、自分自身のありかを捨ててまで、他の人と交わろうとした結果なのだろう。
本当の理想は、自らの有り様と友人達との真の交流にあるはずだった。そして誰も大きな物語を望んでいないなら(大きな物語が小さな物語に勝るなどということは断じて無い!)、小さな物語を紡いでいくべきだったのだろう。今からでも修正が効くだろうか? よく分からない。自らのエゴを押し通す覚悟が揺らいできた。もう、なんだか分からない。
大きな物語を描こうとすれば、多くの人物を描くことになる。しかし、プレイヤーが描くことが出来るのは、たった一人のプレイヤーキャラクターなのである。マスターをやることが出来るという権利に寄りかかりすぎてしまった。そこにあるのは、マスターのエゴの端的な表れでしかない。
……疲れた。決定的な何かに気付いてしまったような気分だ。もう、駄目かもしれない。……疲れた。